この授業がいるとか、いらないとか生徒は言ってきます
教員の方もつい「この教科は受験で必要になるから、頑張れば得するよ」みたいなことを言ってしまいます
損得勘定を使う場面が大きいのですが、この損得勘定というのは教育においては次元が低いと言わざるを得ません
というのは、そもそも普通科において無駄な科目ばかりであり、損得だけでは乗り越えられないし、色んなことをやることに意義があるというのが普通科なわけです
無駄なことをすることによって、教養や思考力が身についていくわけで、「損得」というのは自分基準になってしまって、「今の自分の気分」で判断される恐れがあるからです
損得ではなくて、善悪を判断基準にする方が断然良いです
つまりは、それは正しい行いかどうかという基準です
授業をまともに受けないのは当然ながら正しくないわけです
宿題を写すのも正しい行いではありません

これはずいぶん窮屈な感じですが、「人を馬鹿にして良いか」というお題になると、損得勘定では、俺の気分がいいから馬鹿にするのは得とすぐに考えがちである一方で、「関わると損する」として忌避することもできます
忌避できればいいかというとそういうことではなくて、結局は正しいかどうかを判断するべきであって、馬鹿にする行為は正しくないからだめなんです
それは誰だってわかっているし、それを毎回100%そうやって判断する必要があるわけです
損得なら、気分で判断が変わるからだめだということ
もっというなら、人との関わりにおいて不正を自他の誰かが犯すことになったときに、損得で判断すると魔が差すわけで、善悪で判断するならそれはありません
善悪で考えて、グッと我慢できるかどうか
損得で考える生徒がここに到達できたら違います
そして、もっと言うならば、生産的でわくわくすることを価値判断としておいてほしいなと個人的には思います


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