人生の尺度ってたくさんあって、その大きな部分の1つが仕事です
仕事が人生に貢献しているわけで、仕事が不幸せだと人生も相対的に不幸せになるわけです
でも仕事がすべてではないから、仕事だけで人生は決まらない
仕事があまり楽しくなくても、給料はもらえるし、それで残業がないなら17時台には家に帰れて、自分の体力や時間が残っている
これって幸せな人生だと思えます
その一方で、教員として実力を周囲に認められて、学級経営もうまくいって(もちろんトラブルはあるけど)、充実しているなと毎日19時30分に職員室で感じる生活はどうでしょうか
家に帰れば20時台で、23時台に寝るとしたら家での自由時間は3時間もなく、しかもくたくたで疲労は抜けない
仕事では充実しているけれど、家族としては迷惑な存在に思えます

別の方は、顧問として命を捧げており、授業は毎年同じパターンになっていて教材研究は1つもせず、強化クラブを担当しているから校務分掌も少なめで、日中は暇な時間が多いが、毎日放課後はずっとクラブに張り付いている
土日も両方ともクラブで、試合ばかりして、時には遠征で泊まりがけもあり、いつの間にか部員をバスで送迎するようにもなった
自分がやりたかった顧問業を、好きなだけやれる環境を与えられて、大会の成果が自分自身の人生の結果であるといった最高の充実感や達成感を得られる瞬間を味わう人生です
どうでしょうか?
家族がいれば、「いつも家にいない人」認定されるだけではあります
人生って難しいなと思います
もちろん、自分の価値観にあった人生設計をしたらいいと思うんですよ
ただ・・・

実のところ、自分の価値観ってわからないものです
「早く帰るのはおかしい」という教員特有の呪縛から逃れられないときに、自分の価値観って「残業=人生楽しい」になりますしね
でも、それって家族に迷惑をかけるし、自分の体にも負担です
気づけないんだから、価値観って難しい
今やっていることが最良って思っちゃうのが人間の怖いところです
コンフォートゾーンってやつです
今のやり方が慣れているだけってこと
だから、早く帰ることが人生の充実ではないと考えて、今の生活から抜け出せないのです

じゃあ、どうしたらいいの?
それは、、、
ショック療法しかないのです
体調を崩して初めて「今の働き方がだめなんだ」と気づく
家族から三行半を突きつけられて「今の働き方がだめなんだ」と気づく
そういうショックを味わえるかどうかです
問題が発生しないと人は何もしないのです
問題があるからこそ人は変わることができるのです
そうでなければ、いつも通りに生活しているだけのこと

これを自分で打破できる人がいます
それは「自分で仮説を設定できる」人で、それをまずは簡単に実行してみる人です
現状を少し変えてみて、どうなったかをサンプリングすることで、変化を起こせますし、その結果として「こっちのほうがいい」「こっちはよくない」がわかってきて、そうやって初めて
自分の価値観が見つかっていく
のです
人生は自分探しとはよく言ったもので、結局は自分のことってよくわからないまま終わると私は思っていますが、どんどん複雑に入り組んだ道を行く方が人生の充実や成長はあると考えています
仮説設定力って教育の目標の1つですよね

これから求められている能力を教員自ら育んでいく姿勢って絶対に必要なのですよ
生徒のお手本になれるようにね
話があれこれと脱線しましたが、結局、今の働き方が正解かどうかなんて実はよくわからなくて、私は働き方改革をしましたが、その働き方は私語を極力しないってことで、充実度が下がって来るのも事実で、放課後についつい話し込んだりしたくなってしまいます
残業が減ればいいって頭ではわかっているけれど、今この瞬間の充実を捨てられないのです
お菓子があれば食べてしまうし、ゲームがあればやってしまう
そういうものですよね
でもね、そうやって首尾一貫しないことをやりながらも、それさえも試行錯誤であって、気づきにつながり、問題意識を持ち続けることで、AかBではなく、Dという道が見つかるってことなんだと思います

そしてDというのが答えかと思ったら、実はCに言って、Bに戻って、Fが見つかってといい加減なことを続けるうちに、AがA’、BがB’になって、だんだんとよりよくなるものだと思います
「自分はこうだ!」と決めつけるのは、けっこう苦しい生き方なんですよね
「自分は搾取されている!」と思うと、ずっと怒りの感情に囚われて脱出できなくなり、日々が幸せになりません
私が働き方改革を始めたときには怒りがありました
この感情はすごく厄介で、私を幸せにはしませんでした
長くなりましたね
というわけでして、どういう働き方が一番なのかはいまだにわかりませんか、持続的に働けるような健康的な生活は死守すべきだなとは思っています
そのゴールためにあっちこっちと試行錯誤を一緒にしましょう!
ということで終わりです


コメント