大学生の時には飲み会が好きでした
社会人になって最初の飲み会に参加して大嫌いになりました
そして数年後には一切飲み会を参加をやめました
というか、逃げ方を知ったし、逃げても何も起こらないことを知ったのです
年を取るごとにどんどん臆病になる自分がいることに気づきます
保護者からクレームをもらいたくないとか、仕事で失敗したくないとか
保守的な気持ちになってきています
もちろん、その一方で挑戦もし続けています

こんな言い方をするとおかしいかもしれませんが、物事の真理が見えるようになったとでもいったらいいでしょうか
「こういう言い方をするとクレームをもらう」とか「この生徒はこうなる」とかがわかるようになりました
先が見えすぎるが故に、先回りをするようになりましたし、自分の能力はこのくらいだろうとわかってくると、自分ができることはこんな形のことだろう、授業の形もこんなものだろうとか、諦めるわけじゃなくて、期待値といったらいいのでしょうか、そうしたものがわかるようになりました
人付き合いの観点でも同じで、「合う」「合わない」というのはすぐにわかります
私は万能なタイプではなくとがったタイプですから、私は合う・合わないがくっきり出やすいのと、不思議で相手から「合わない」という態度を明確に取られることもあるし、対応に差をつけられることが多くあります(もちろん、低くね)

私はそういう態度を変えたりはしないつもりです
むしろ、態度を変えないからこそだめなのかもしれません
例えば、いつも周囲からちやほやされてきた人が、私がそうしないと気に入らないでしょう
そういったものも明確に見えるし、同じ仕事をしていて、私の方ができるとか、成果を出している様を目の当たりにして態度を変えてくる人もいます
そういうのも嫌なんですよね
そうやって平気で態度を変えられるのはどうしてなのか、不思議で仕方ないわけです
私は態度を変えられやすい故に、相手の人間性について考えることは多いですし、そういう人たちとプライベートの場で時間を取ってまで一緒に過ごしたいとは思わないです
もちろん、職場では上手にコミュニケーションは取りますよ、仕事ですから

いろんなことを見えるようなった故に、先回り思考が加速されて、相手のことの評価も決まっていくと、
私に合う人ってそういないんだ
って結論になりました
まあ、人間ってそうなんだろうな
それをどこまで妥協できるかが人間性やコミュニケーション能力なんだろうなって思います
私は徹底的に向いていないし、そもそも仕事でそんなにストレスが溜まるわけでもないし、ストレス発散したいとか思わないし、自分で好きなことをやっている方が好きだしね
この考え方は「普通ではない」と若いときには思っていて、自分に合わないことをしないといけない強迫観念はあり、それが苦しかった時期がありました
でも、結局は自分に合うことをすることで、より楽しくなりました
そう、プライベートでの人付き合いをやめたのです

だって、面倒なんだもんってのが正直なところ
色んなことを考えて、先のことがわかってしまうような相手と、どうでもいい次元の話をして過ごすこと自体の時間の無駄さを考えると、、、うーんです
それをするくらいなら、勤務時間の合間に少し会話をして楽しむくらいがちょうどいい
長尺動画を熱心に見るよりも、ショート動画をさくっと楽しむという感じでしょうかね
世間の常識や当たり前を考えすぎるとしんどくなって、自分がやりたいように生きる方があっているのです
教師も自分らしく働けるとずいぶんと魅力的になるのと同じです


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