人と話をしていて不思議なのは、「それっておかしい」ってことを私が言うと、相手は「先生の言い分はただの正論である」として、取り扱ってもらえず、相手の主張のおかしな点を主張してもうやむやな返答しかなくて、私の主張をすると「それは正論だ」としてそもそも考えようとしない
正論かどうかではなくて、きちんと説明がつくかどうかをベースにしてどうやって実現させるかを考えるのが大事ではないかと思う
私も理想論を語っているわけでもないし、教育の現場を知っていて自分が実践者の立場での話をしているので、私がこういう手順ならできるという段取りがわかっていて話をしています
「みんなが素晴らしいんだ」とか「みんなには無限の可能性がある」というおかしな現実を夢見ているわけではありません
でも話をすると「それは正論」として扱ってもらえず、相手のおかしな理屈も話を進める形になる
おかしな話はおかしなやり方で無駄が多いから嫌なんですが、相手からすると「正論」として私を非難するわけで、
こりゃだめだとなります

こんなことを書くと申し訳ないが、教員というのは(社会人かもしれないが)自分が無知である、理解できないということを素直に認めることができないのではないかと思う
私が構想することを順序立てて話したとしても、相手が理解できない場面は実は多いのです
そういうときには「正論」として相手は思考をやめます
相手の方が優れている、しかも自分が下に見ている相手に対して負けを認めたくない心理なのかな思ってしまいます
教員って頭の悪い人が多いのが現実で、私の考えを理解できる人が少ないというと語弊があるかもしれませんが、結局はついてこれないのがあるって思う機会が多々あります
自慢げに聞こえるかもしれませんが、私は私でこれは悩みの種でもあり、私の考えた「良い案」は常に「正論」として、私は「非現実な正論を唱えるただの理想論主義者」とレッテルを貼られるようなるわけです
人は自分より「少し」頭の良い人のことは頭がいい人として理解できるようですが、「とても」頭がいい人のことはどうやら頭がとってもいいとは認識できないそうです
つまり、「頭がいい」ではなくて「おかしなやつ」という評価になるようです

ですから、会社で代替わりをする度にだめになっていくのは、とっても頭がいい人のことを「変なやつ」としか認識できずに、自分の劣等感が刺激されない人を後任に選ぶからだそうです
私は若いうちは「宇宙人」とずっと先輩方から言われてきましたが、こういう理屈なのかもしれません
私は自分のことを頭がいいとか、相手を見下しているとか、そんなことはないつもりです
が、現実、仕事をしている「この人は理解できないんだな」ということを感じることは多々あり、おまけにそのことで排除されることがある現実があります
では私はどうしたかというと、そういう人は相手にはせずに自分の影響力が及ぶ範囲でのみ力を入れるようにしました
不思議なものですが、、、フラットな横の関係だと思っていても、内心でいろいろあるんだと思います


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