コミュニケーションコストを考える

最近考えることがあるのはコミュニケーションコストです
といっても私の造語です
要はコミュニケーションを誰かと取るのに、どれくらいコスト(労力)がかかるかです

例えば、仲のいい教員には気軽に話しかけられるのでコミュニケーションコストは低く、限りなく0に近づくでしょう
逆に、年倍の教員には気を遣うので、気苦労が増えるからコストは増えます

私どうなんだろうなって考えてしまいます
気さくに話をするタイプだと自称しているので、コミュニケーションコスト自体は低いと思うんですよね
ただ、その一方で、仕事には一生懸命ですから、良い提案をしたいし、良い案に乗っかりたいので、何かを提案されたり、相談されるときには反対される恐れがあると向こうに思われてコストが上がっているかもしれません

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また、若手からすると年配であり、さらには指導についてジャッジとまではいかないけれど、「こうした方がいいよ」と押しつけてくるとなると、私に対するコストは高く見積もられているはず
下手をすると「覚悟を持って話さないとだめだしされる」とかなり高コスト体質かもしれません
こういう部分が若手から敬遠される部分なのかなと思います

コストが高く思われるのは癪ですが、ただ、、、悪い案に対して「いいね!」なんて絶対にいえないので・・・このへんで私のいけないところなんだろうって思います
若手から敬遠されるということは仕事が増えなくていいんだろうけど、それはそれでどうなんだろうって思う
ので、最近は雑談はするけど仕事を教えないってスタンスで、さらには間違ったことをいっても一切口を挟まないし、放置するってやり方をやっています

若手に好かれたいというよりは、ハラスメントをされたと思われたくないなという部分が強いかもしれません
いろんな方からはコストが低いと思われたいとは思いますが、なかなかそうはいかないのが現実ですね
いいものを作り上げることで喜びを分かち合いたいのですが、これがコスト高の考え方なんでしょう

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