教師は同じ年代の子ども一気に比較してみることができるから、平均値を知っており、この平均から誰が外れているかを理解している
だから、発達障害の生徒を一発で見抜くことができる
もちろん、専門家ではないから診断はできないけれど、「集団生活でうまくいかない」ということはきちんとわかるのであり、そうした異常値のことを「発達障害」と勝手に読んでいるだけのこと
断っておくと発達障害が悪いわけではなくて、状況な訳であり、どのように今後育てていくかが大事なわけで、基本的には平均ではない生徒は集団生活がうまくいかない、つまり、その集団で学ぶものが学べないし、ついていけなくて本人が不幸になるから、どうにかしたいと考えている
別に差別したいからそういっているわけではない
ただ、保護者はそうではない
まずは比較ができないから、自分の子どもがどの程度できないのかわからないし、基本的には自分の子ども平均以上にできており、「価値がある」と考えているので、「発達障害という烙印」は受け入れることができないのである
どうも発達障害というのは「烙印」のようなものであり、それはなんていうか「価値がない」というような絶対評価でとんでもなく低い評価をもらったようなものであると映るらしい

まあ、ショックなのかもしれないけれど、そもそも毎日面倒を見てきて、学校の成績を見て何かおかしいと思ってきたでしょ?って言いたい
で、それを見て見ぬふりをしても子どもの将来にならないでしょう?
だから、そういう診断名がつくわけだし、何が苦手でどう伸ばしていけばいいかをきちんと考えるタイミングだということ
学校は生徒を伸ばすところであって、診断名がつこうがつくまいが、子どもを伸ばすことを考えてほしいだけのこと
発達障害は「保護者否定」みたいな捉えられ方をするからこそ、保護者も認めず、見て見ぬふりをして、どんどん子どもが成長できないまま時だけが過ぎる
この視点を持てるかどうか
保護者は今の自分の見栄ではなくて、自分が面倒を見る子どもとどう付き合っていくかを考えるべきです
それで、今の状況を受け入れられないとなると負債を返却せずに借金が膨らんでいく、そんな感覚になってしまいます
まあ、それは勉強しない平均以下の生徒たちも同じなんですけどね


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