教師というのは同じ年の生徒を一度に大量に比較して見ることができる特殊な仕事
だから、保護者が自分の子どもが集団から明らかに劣っているとか、違っている差異を全く認識できない状況について、おかしいと思えるわけで、いわゆる「平均点」を知っているのが強み
明らかな発達障害であったとしても、保護者にそういう現実を突きつけても受け止めてはくれない
教師は生徒と友達ではなく、教える相手であり成績をつけるなどして評価する立場である
それゆえに生徒の「人間としての価値」を考えることがある
野球部のクズ生徒に関しては、仮に野球を一生懸命やったとしてもそれが仕事になるわけではなく、人間として腐っているのでこれから社会でやっていくのは厳しいだろうし、進路も真面目に取り組まないだろう、努力もしないだろうと評価してしまう
まあ、そもそも野球をやっている段階で、将来的には生かせるものではないから
私が評価する人間というのは、「周囲と調和できる」「協調して作業できる」「新しい提案ができる」「試行錯誤ができる」「努力ができる」といったものであり、ここはきっと私の人間性なんだろうと思う
少なくとも社会人として生きてきた中でこうしたことができる人って、「一緒に働きたい」と思えるから

私が考えていること自体が思い込みだろうし、これがすべてでは全くない
この辺がまた難しいところで、人によって価値観は異なっており「強調して調和する」ことが一番大事と思っている人もまたいて、すぐにはみ出す私はすぐに嫌われる
「先輩を立てる」のが大事と思っている人も年配には多くて、すぐに私は嫌われる
そうやって波風を立てながら生きてきた私ではあるけれど、不思議なもので仕事は成果を出しながらやってきているので、思った以上に不具合はない
むしろ、私のことに難癖をつける人たちは「プライドが高く威張っている人」が多く、気に入らないらしい
「実力がない人」からも眉をひそめられているが、結局は、実力差が有無を言わせない
そういう意味では、自分は仕事ができて良かったと思えるわけで、生徒たちにも実力をつけてほしいと思っているが、生徒はそうやって社会で仕事をしたことがないから、伝えたとしても伝わらない
伝えても受け取れないのも実力とも言える
私が最近悩んでいるのは、自分の価値をどのように高めていくか
力を伸ばすならどの方向性がいいだろうって
教師として実力をつけたらあとはなんとかなるって若い頃は思っていたけど、今は「まだまだ実力を伸ばしていく必要がある」と心底思っている
それは指導力というよりは、人間として能力というか、価値判断、ものの考え方、発想力、先を読む力といったものが大きくて、若いときに考えていたものとは違う
指導力というのはある意味では答えがあるものであるけれど、先ほどのものは答えはないし、資格のように「〇級」みたいな認定はないので、見えない何かであって、それが本当に身についたのかさえ怪しい世界である
だから、多くの人は教師としての実力がある程度身についたら、そこで勉強をやめて停滞してしまう
ライフステージがあるから、それはその判断で良いとは思うが、「価値」を考えたときには停滞かもしれない
意味もわからないことを書いているが、社会人としてやっていくなら価値を高めることをし続ける必要があると思うようになったということ
社会がここまで変化し続ける中で、その速度がどんどん速くなっているからなおさらである
あなたはどう考える?


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